無について

無味無臭の、政治的なメッセージのない、メッセージがあったとしてもひどく軽薄でありきたりで当たり障りのないことしか言わないような表現。いわゆる「エモい」という感情しか残さない、資本主義の極致にあるような表現。このような表現が、逆に政治利用されるケースが特に最近は多いように思う。プロパガンダといえば、ある国や民族にレッテルを貼り、特定の思想に人々を誘導させる明確なテキストが含まれたものもあるが、メッセージを込めずに、単にバズらせる、話題にする、ことだけを目的としたプロパガンダもあるのではないか。意味のない情報をただただ広がらせる。実際アドルフヒトラーの作ったポスターの中には、単にヒトラーの顔が印刷されているだけのものもあった。メッセージ性の強い表現は人々を一定の方向に導いてしまい「危険」であると言うが、逆にメッセージ性の弱い表現の方が「危険」のような気もしてくる。もともと何も伝えることをしていないわけだから、論理的に批判することができなくなり、人々が広めあったのちの帰結に対して盲目的になってしまう。